この歌の演奏は、2008年に作ったものを残してあります。歌い手はVocaloid2となります。
三美歌だけ聞いているとはっきりしなかったことが元の讃美歌と比べるとわかることもあります。
自分には、三番の「浮かれ出でゆく精霊」は現代の人々のような感じがしていましたが、そうでもないようです。
三美歌だけ聞いているとはっきりしなかったことが元の讃美歌と比べるとわかることもあります。
自分には、三番の「浮かれ出でゆく精霊」は現代の人々のような感じがしていましたが、そうでもないようです。
歌詞
第二一(一八八)
一
あだ浪たける 世のなかは
老も若きも さだめなき
かぜにおそはれ 船かへり
あるは彼岸に 渡りゆく。
第二一(一八八)
一
あだ浪たける 世のなかは
老も若きも さだめなき
かぜにおそはれ 船かへり
あるは彼岸に 渡りゆく。
二
あとより往くも さきだつも
千代の住処は うへもなき
神の御国か 底しらぬ
ほろびの地獄(くに)か ほかぞなき。
あとより往くも さきだつも
千代の住処は うへもなき
神の御国か 底しらぬ
ほろびの地獄(くに)か ほかぞなき。
三
浮かれ出でゆく 精霊よ
汝があくがるる 花の香を
散らし往くべき しこ嵐
一息待たで 吹かぬかは。
浮かれ出でゆく 精霊よ
汝があくがるる 花の香を
散らし往くべき しこ嵐
一息待たで 吹かぬかは。
四
人は神の子 神の宮
かきはときはに 生きとほし
ほろびも知らず 栄えゆく
みたまのふゆを たのしめよ。
人は神の子 神の宮
かきはときはに 生きとほし
ほろびも知らず 栄えゆく
みたまのふゆを たのしめよ。
讃美歌
一
あだなる華の 世にすめば
おいもかわきも さだめなき
かぜにさそはれ あるは散り
あるはしばらく のこるなり
二
さきだちゆくも おくるるも
つひのすみかは うへもなき
あまつみくにか 底もなき
ほろびのふちか ほかぞなき
さきだちゆくも おくるるも
つひのすみかは うへもなき
あまつみくにか 底もなき
ほろびのふちか ほかぞなき
三
やよ浮かれゆく たましひよ
汝(な)があくがるる そのはなを
さそひゆくべき やまかぜの
あすをまたで 吹かぬかは
やよ浮かれゆく たましひよ
汝(な)があくがるる そのはなを
さそひゆくべき やまかぜの
あすをまたで 吹かぬかは
四
さらば人の子 こころして
とこよのはるに ちりもせず
しぼみもやらで さきひほふ
みそのの華を たづねみよ
さらば人の子 こころして
とこよのはるに ちりもせず
しぼみもやらで さきひほふ
みそのの華を たづねみよ
比較
一
あだ浪たける 世のなかは
老も若きも さだめなき
かぜにおそはれ 船かへり
あるは彼岸に 渡りゆく。
一
あだなる華の 世にすめば
おいもかわきも さだめなき
かぜにさそはれ あるは散り
あるはしばらく のこるなり
あだ浪たける 世のなかは
老も若きも さだめなき
かぜにおそはれ 船かへり
あるは彼岸に 渡りゆく。
一
あだなる華の 世にすめば
おいもかわきも さだめなき
かぜにさそはれ あるは散り
あるはしばらく のこるなり
讃美歌では、「あだなる華」は「実を結ぶことなく、はかなく散り去る花」で、人間のことでしょうか。「あだ・なり 【徒なり】 は ①はかない。もろい。②誠実でない。浮気だ。③疎略だ。④無駄だ。無用だ。」の意味があるようです。
三美歌では「あだ浪」と全く意味を変えています。「かぜにおそはれ、船かへり」は、比喩でしょうが、実景のようにも感じられます。船の大事故、いろいろありましたね。
三美歌では「あだ浪」と全く意味を変えています。「かぜにおそはれ、船かへり」は、比喩でしょうが、実景のようにも感じられます。船の大事故、いろいろありましたね。
二
あとより往くも さきだつも
千代の住処は うへもなき
神の御国か 底しらぬ
ほろびの地獄(くに)か ほかぞなき。
二
さきだちゆくも おくるるも
つひのすみかは うへもなき
あまつみくにか 底もなき
ほろびのふちか ほかぞなき
あとより往くも さきだつも
千代の住処は うへもなき
神の御国か 底しらぬ
ほろびの地獄(くに)か ほかぞなき。
二
さきだちゆくも おくるるも
つひのすみかは うへもなき
あまつみくにか 底もなき
ほろびのふちか ほかぞなき
三美歌だけ聞いていると「うへ」の意味がよくわからなかったのですが、讃美歌と比べると、「上」という意味で「底」の対義語でしょう。天国は上ると言いますから、無限ということでしょうか。
三
浮かれ出でゆく 精霊よ
汝があくがるる 花の香を
散らし往くべき しこ嵐
一息待たで 吹かぬかは。
三
やよ浮かれゆく たましひよ
汝(な)があくがるる そのはなを
さそひゆくべき やまかぜの
あすをまたで 吹かぬかは
浮かれ出でゆく 精霊よ
汝があくがるる 花の香を
散らし往くべき しこ嵐
一息待たで 吹かぬかは。
三
やよ浮かれゆく たましひよ
汝(な)があくがるる そのはなを
さそひゆくべき やまかぜの
あすをまたで 吹かぬかは
ここも三美歌だけ聞いていると、なぜか、未来を予言しているように自分では感じられていました。この歌詞が100年前ですから、それからの未来。今も、これから先も含まれるでしょう。「一息待たで、吹かぬかは」は、作者の詠嘆を感じます。
しかし、讃美歌と比べてみると、「はな」というのは、現実世界での欲望を誘う喜びを意味しているような気がします。
しかし、讃美歌と比べてみると、「はな」というのは、現実世界での欲望を誘う喜びを意味しているような気がします。
四
人は神の子 神の宮
かきはときはに 生きとほし
ほろびも知らず 栄えゆく
みたまのふゆを たのしめよ。
四
さらば人の子 こころして
とこよのはるに ちりもせず
しぼみもやらで さきひほふ
みそのの華を たづねみよ
人は神の子 神の宮
かきはときはに 生きとほし
ほろびも知らず 栄えゆく
みたまのふゆを たのしめよ。
四
さらば人の子 こころして
とこよのはるに ちりもせず
しぼみもやらで さきひほふ
みそのの華を たづねみよ
三美歌の「みたまのふゆ」は「恩頼」と書いて、「神さまのお徳を頂いて、吾々の霊魂が浄化し、内分を充実、向上すること」と用語集にはあります。
この四番は王仁三郎の教えの基盤そのものでしょう。
讃美歌のキリスト教は、「自分を律して生きよ」のような、厳しい感じがします。
この四番は王仁三郎の教えの基盤そのものでしょう。
讃美歌のキリスト教は、「自分を律して生きよ」のような、厳しい感じがします。