2021年06月24日

三美歌21番


この歌の演奏は、2008年に作ったものを残してあります。歌い手はVocaloid2となります。
三美歌だけ聞いているとはっきりしなかったことが元の讃美歌と比べるとわかることもあります。
自分には、三番の「浮かれ出でゆく精霊」は現代の人々のような感じがしていましたが、そうでもないようです。

歌詞
  第二一(一八八)
    一
 あだ浪たける   世のなかは
 老も若きも    さだめなき
 かぜにおそはれ  船かへり
 あるは彼岸に   渡りゆく。
    二
 あとより往くも  さきだつも
 千代の住処は   うへもなき
 神の御国か    底しらぬ
 ほろびの地獄(くに)か  ほかぞなき。
    三
 浮かれ出でゆく  精霊よ
 汝があくがるる  花の香を
 散らし往くべき  しこ嵐
 一息待たで    吹かぬかは。
    四
 人は神の子    神の宮
 かきはときはに  生きとほし
 ほろびも知らず  栄えゆく
 みたまのふゆを  たのしめよ。

讃美歌
    一
 あだなる華の 世にすめば
 おいもかわきも さだめなき
 かぜにさそはれ あるは散り
 あるはしばらく のこるなり
    二
 さきだちゆくも おくるるも
 つひのすみかは うへもなき
 あまつみくにか 底もなき
 ほろびのふちか ほかぞなき
    三
 やよ浮かれゆく たましひよ
 汝(な)があくがるる そのはなを
 さそひゆくべき やまかぜの
 あすをまたで 吹かぬかは
    四
 さらば人の子 こころして
 とこよのはるに ちりもせず
 しぼみもやらで さきひほふ
 みそのの華を たづねみよ

比較
    一
 あだ浪たける    世のなかは
 老も若きも     さだめなき
 かぜにおそはれ   船かへり
 あるは彼岸に    渡りゆく。
    
 あだなる華の 世にすめば
 おいもかわきも さだめなき
 かぜにさそはれ あるは散り
 あるはしばらく のこるなり

 讃美歌では、「あだなる華」は「実を結ぶことなく、はかなく散り去る花」で、人間のことでしょうか。「あだ・なり 【徒なり】 は ①はかない。もろい。②誠実でない。浮気だ。③疎略だ。④無駄だ。無用だ。」の意味があるようです。
 三美歌では「あだ浪」と全く意味を変えています。「かぜにおそはれ、船かへり」は、比喩でしょうが、実景のようにも感じられます。船の大事故、いろいろありましたね。

    二
 あとより往くも   さきだつも
 千代の住処は    うへもなき
 神の御国か     底しらぬ
 ほろびの地獄(くに)か  ほかぞなき。
    
 さきだちゆくも おくるるも
 つひのすみかは うへもなき
 あまつみくにか 底もなき
 ほろびのふちか ほかぞなき

 三美歌だけ聞いていると「うへ」の意味がよくわからなかったのですが、讃美歌と比べると、「上」という意味で「底」の対義語でしょう。天国は上ると言いますから、無限ということでしょうか。

    三
 浮かれ出でゆく   精霊よ
 汝があくがるる   花の香を
 散らし往くべき   しこ嵐
 一息待たで     吹かぬかは。
    
 やよ浮かれゆく たましひよ
 汝(な)があくがるる そのはなを
 さそひゆくべき やまかぜの
 あすをまたで 吹かぬかは

 ここも三美歌だけ聞いていると、なぜか、未来を予言しているように自分では感じられていました。この歌詞が100年前ですから、それからの未来。今も、これから先も含まれるでしょう。「一息待たで、吹かぬかは」は、作者の詠嘆を感じます。
 しかし、讃美歌と比べてみると、「はな」というのは、現実世界での欲望を誘う喜びを意味しているような気がします。

    四
 人は神の子     神の宮
 かきはときはに   生きとほし
 ほろびも知らず   栄えゆく
 みたまのふゆを   たのしめよ。
    
 さらば人の子 こころして
 とこよのはるに ちりもせず
 しぼみもやらで さきひほふ
 みそのの華を たづねみよ

 三美歌の「みたまのふゆ」は「恩頼」と書いて、「神さまのお徳を頂いて、吾々の霊魂が浄化し、内分を充実、向上すること」と用語集にはあります。
 この四番は王仁三郎の教えの基盤そのものでしょう。
 讃美歌のキリスト教は、「自分を律して生きよ」のような、厳しい感じがします。

posted by 狭依彦 at 11:41| Comment(0) | 三美歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月22日

三美歌43番


この曲のメロディはフォスターの『スワニー河』。有名な曲です。
私がこの曲を好きなのは、AIきりたんの演奏ではなく、歌詞が好きなのです。
もう少し上手に演奏させられるようにも思いますが、とりあえず、好きな曲として紹介します。

三美歌の方は「今ちちは年老い」というところから父の歌だと思っていました。
讃美歌は母が歌っているようです。インターネットの解説にそうありましたし、「なが父は」というところが母が歌っていることを想起させます。

三美歌のほうの子供は、「衣のそで」を残したり、「神の辺に のぼりゆき」、「花さき匂ひ充つる たびぢ」とかの歌詞から死んでいると思います。
「衣のそで」は形見だと思うのですが、調べても用例がみつからないので確実ではありません。
讃美歌では、「旅路」、「さまよえる」、「とくかへり」一緒に祈ろうというところから、生きていると感じます。
「旅路」が天国への旅路という用法があれば死後の旅路と解釈できますが、短時間調べたところ「人生の旅路」というのはありましたが、死後の旅路を思わせる用法は見つかりませんでした。

王仁三郎は母の視点を父の視点に、生きている(だろう)子供を、死んでしまった子供に変えたわけです。

歌詞
    一
 月雪よ花よと     愛(め)でにし
 わがこののこしたる  衣のそで
 ながめてなげく折   御かみは
 やすくわが身霊(みたま)を   なぐさめたまふ
   (折返)
 めぐしきわが子よ   神の辺(へ)に
 のぼりゆき祈りを   ともにせよや。

    二
 わかれゆくわが子を  おくりぬ
 なみだの雨晴れて   雲はちれり
 花さき匂ひ充つる   たびぢを
 いさみすすみ行けや  月すむ夜半。

    三
 神にひとしかりし   わが子よ
 今ちちは年老い    母はやみぬ
 されど汝が魂     いさみて
 わが世を守りつつ   神国(みくに)へゆけ。

讃美歌
    一
 はなよりもめでにし わが子よ
 のこしし衣だに いとなつかし
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるかいまは はなちるくれ
(折返)
 わが子よわが子よ とくかへり
 心ゆく祈りを ともにせずや

    二
 かすむまでおくりし わが子よ
 みそらかける雁に たより寄せよ
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるか今は つきすむ夜半

    三
 神の使ひとみし わが子よ
 なが父はおとろへ 母は老いぬ
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるか今は 雪のあした。

比較
    一
 月雪よ花よと     愛(め)でにし
 わがこののこしたる  衣のそで
 ながめてなげく折   御かみは
 やすくわが身霊(みたま)を   なぐさめたまふ
   (折返)
 めぐしきわが子よ   神の辺(へ)に
 のぼりゆき祈りを   ともにせよや。
    
 はなよりもめでにし わが子よ
 のこしし衣だに いとなつかし
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるかいまは はなちるくれ
(折返)
 わが子よわが子よ とくかへり
 心ゆく祈りを ともにせずや

亡くなったわが子が「神の辺にのぼりゆき」というのは天国に行き、主神のそばで祈りをともにせよ。「ともに」祈るのは主神ではないでしょうか。

    二
 わかれゆくわが子を  おくりぬ
 なみだの雨晴れて   雲はちれり
 花さき匂ひ充つる   たびぢを
 いさみすすみ行けや  月すむ夜半。
    
 かすむまでおくりし わが子よ
 みそらかける雁に たより寄せよ
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるか今は つきすむ夜半

 「花さき匂ひ充つる旅路」というのは、天国への旅路。精霊が肉体から離れ天国へ向かう、これは「勇んで」進んでゆくのです。
 「月すむ夜半」はそのまま使っています。三美歌の文脈では、大きなイメージを想起させてくれます。
 「なみだの雨晴れて 雲はちれり」。精霊が生き続けると知っていれば、「死別」は悲しいばかりではないのです。

    三
 神にひとしかりし   わが子よ
 今ちちは年老い    母はやみぬ
 されど汝が魂     いさみて
 わが世を守りつつ   神国(みくに)へゆけ。
    
 神の使ひとみし わが子よ
 なが父はおとろへ 母は老いぬ
 たのみなき旅路を いづこに
 さまよへるか今は 雪のあした。

 讃美歌では「神の使ひと見し」、三美歌では「神に等しかりし」。よく似ていますが、全く意味が違いますね。
 三美歌の考え方は、「人は神の子、神の宮」で、人間は神の一部を受け継いでいるのです。

 「わが世を守りつつ」はいつもこの歌を聴くと、何だろうと考えるのだけれど、よくわかりません。
 わが世=現界、これを守るとは?見守るなら分かるのですが。

posted by 狭依彦 at 11:18| Comment(0) | 三美歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする